(この記事は2022年12月11日に加筆修正しました)

1 引手茶屋
吉原の遊びとはピンからキリで、時代とともに変遷がありました。元禄時代のころまでもっとも高級でゼイタクなのは、引手茶屋を利用した遊びでした。常連客はお客さんは引手茶屋でどんちゃん騒ぎをしてから遊郭に行ったそうです。特に大見世と呼ばれる遊郭(最も高級)に行くには引手茶屋にまずは行かなくてはならないのです。

遊郭はそれを受けて、太夫(花魁)にお供とともに引手茶屋にいかせ、お客さんを迎えにくるようです。

一方のお客さんは引手茶屋で、芸者さんやタイコもち(芸者の男版みたいなもの)たちと宴会を開き、太夫(花魁)さんが迎えに来るまでドンチャン騒ぎをしていたようです。太夫さんと客が面会して、太夫さんが「このお客さんは信頼できそうだ」と判断したら、お付き合いOK。引手茶屋は芸者さんに払うお金や酒代、妓楼へ払う揚代(玉代)などの全てを客の代わりに建て替え、後でまとめて客に請求したそうです。引手茶屋は今で言えばクレジットカードのような役割を果たしていたようです。妓楼からすれば揚代を取り損ねることはなかったし、客は現金を持っていなくても吉原で豪遊することができたと言います。その代わり引手茶屋は信用がない客じゃないと受け入れなかったそうです。引手茶屋が信用した客なら、妓楼の方も「ああ、この客なら遊女に変なことはしないだろうし、お金も払ってくれるだろう」って安心したと言います。

それから、お客さんは遊郭にいき、そこで太夫(花魁)と遊んだり、OOOをするのです。もっとも、一見さんでは、太夫(花魁)さんはお客さんの相手をしてくれません。何しろ太夫さんは遊女でもランクが高いですから。

2 太夫さんと遊ぶルール
 まずは初会というものがあります。これは客と太夫さんの初顔合わせ。太夫さんが上座に座り、客は下座に座ります。現代の感覚だと逆ですよね。お互いに会話をすることも許されず、酒も少し口にしただけで、その日はお開き。日を変えて、再び客と太夫さんは会います。これを「裏を返す」と言います。ここでやっと会話もできるようになりますが、まだ床に入ることができません。

そして、また別の日に再び会います。まさに3度目の正直、やっとやらせてもらえるのですw。これを「馴染なじみと言います。「馴染」になると客も上座に座ることができ、擬似夫婦と看做されたと言います。そして馴染みになると太夫さんの客への待遇が格段によくなったのです。最初はぶっきらぼうで、まるで「Zガンダム」に出てくるハマーン様みたいな上から目線の態度だったのが、2度目で少し良くなり、3度目で高級バー並みか、それ以上の待遇を受けたと言います。客専用のハシまで用意してくれたというから至りつくせりですね。

太夫さんと3回も会うわけですから、当然お金もかかります。そのかかったお金は現代の価格に直すと1000万円以上はしたといいます!もちろん時代によって違いますが、太夫クラスとやらせてもらうとなると莫大なお金がかかるのです。よほどお金がある人じゃないと無理ですね。太夫より下のランクだったら、もう少し安くなるのですが。実際、太夫と遊んだ乗客は武家はもとより、札差フダサシと呼ばれる高利貸しが羽振りが良かったそうです。札差は歌舞伎や能などの教養があり、吉原のお座敷で句会を開いたり、即興劇を演じたり、場を和ませたと言います。こうした金の使いっぷりの良い客を通人といったそうです。

それにしても、なんでこんなに太夫と遊ぶのに3回も会わなくてはならないのでしょう。現代の感覚からすれば、「金を出しているのは俺だぞ」って怒りたくなりますよねw。でも、これは太夫が、格式が高い遊女であることを示すためであり、客がどれだけ本気であるかを試すためでもあったのです。

また吉原では客の浮気は固く禁じられたと言います。浮気が見つかると、チョンマゲを切られたり、顔に墨を塗られたと言います。疑似夫婦なのに、浮気が厳禁とはすごいですね。3回もあったのに裏切るとは何事か!って感じでしょう。

年末になると吉原でもすす払いという大掃除が行われます。この大掃除には店の遊女さんはもちろんですが、なんと遊女たちのなじみの客たちも大掃除に手伝いに店にやってくるのです。ちゃっかりしている遊女さんは事前に、すす払いを手伝ってくれと客に頼むものも。客に店の仕事を手伝わせるなんて現代では考えられませんが、この時代は、かわいい遊女のためなら何だってするよ!って鼻を伸ばす男も少なくなかったのです。店に来た客に遊女さんは遠慮なく、あそこをはたいてくれ、ここを水拭きしてくれと頼んじゃうのですね。店にくる男たちの下心にうまくつけこんだ遊女さんの手口に脱帽です。

また吉原には紋日もんびと呼ばれる日が年に何回かありました。これは紋付袴を着る特別な日というのがもともとの意味で、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽の五節句や12月31日の節分も紋日にあたります。あれ、節分って2月3日じゃないの?って思うのは現代の感覚。もともと日本の古い暦に直すと今の大みそかは2月3日にあたり、2月4日の立春をもって新しい年を迎えるのです。紋日は吉原にとってのイベントデーでしたが、この紋日にあたる日は遊び代が二倍にもなったといいます。普段の日でもかかるのに。紋日はイベントデーなのにこれでは客足が遠のいてしまうのです。それで紋日の日にも来てもらえるように、遊女たちは、紋日にあたる日だけ揚げ代分を自己負担したともいわれております。そして遊女たちは男たちに紋日にも来てくれるように頼んだといいます。そんな遊女たちの努力もあって節分の日になると客でにぎわったといいます。

3 庶民達の遊び方
 庶民も吉原にきましたが、庶民はお金がないから、ほとんどが吉原を見物して終わり。遊女さんを見れば目の保養にもなるし、話の種にもなるし。いわゆる冷やかし。しかし、冷やかしをせずに遊びたいと言えば、客は引きつけ部屋という妓楼の2階に通されます。ここで、遣り手と呼ばれる年増の女中が、揚代の説明や料理は必要かと聞かれます。そして、おきに入の遊女を指名するのですね。そして、遊女さんと遊ぶとなると、大部屋に通され、そこで待つ遊女さんと遊ぶのです。大部屋はいくつも屏風で仕切られていたので、他の客と相部屋みたいな状態だったようです。これじゃあ落ち着いて、やれませんねw

人気の遊女さんとなると場合によっては一夜に5人も相手をしなくてはならなりません。廻しと言いまして、遊女さんは一人一人相手をして、客は順番を待つのです。が、その順番は来た順ではなく、馴染みの客から回ってくるそうです。だから、結構待たされることもあるのですね。それでシビレを切らした客が、「今日はいいから、揚代返せ」なんていうこともしばしばだったとか。

また、遊女さんにとって一日に何人も相手をすることは重労働です。そりゃそうですよね。だから遊女さんは待たせてる客を放っておくこともしばしばだったと言います。今じゃクレームものですよね。これは、「フラれた」と言います。で、フラれた客はかわいそうだから、若い娘を代わりに相手をさせたと言います。そういう若い娘を「名代」と言います。そして、客はこの名代に絶対に手を出してはいけないのです。名代は年端も行かない若い子なので、変なことをさせるわけには行かないということでしょう。しかし、お目当ての遊女と遊べず、名代との会話だけで終わったとしても、店はきっちりお金を取ったと言います。現代でこんなことをやったらSNSでさらされてしまいますねw


※ おまけ

吉原の花魁道中の動画です。





※ 参考文献および参考にした番組
『にっぽん!歴史鑑定』(TBS)