吉原の遊女さんたちは「ありんす言葉」という独特な言い回しをしていたそうです。たとえば「あちきは〜でありんす」(わたしは〜です)など。
しかし、「ありんす言葉」は吉原全体の共通語ではなかったようです。吉原にはいくつもの遊郭がありましたが、そのなかでも大見世とよばれている規模の大きな店ではそれぞれ独自の「ありんす言葉」が使われていたようです。
しかも大見世でも「ありんす言葉」は花魁級のランクの高い遊女さんが使っていたようです。下っ端の遊女さんは使っていなかったようです。また、中見世や小見世といった規模の小さなお店の遊女さんは、大見世にはナイショで「ありんす言葉」を使っていたといいます。
ただ、江戸時代の後期になると、下っ端の遊女さんも中見世や小見世の遊女さんたちもふつうに「ありんす言葉」を使うようになったようですが。
今日はそんな大見世の中から松葉屋と扇屋の「ありんす言葉」を。
松葉屋言
「来んした」(来た)
「じれっとおす」(じれっとうござります)
「ようおす」(ようございます)
扇屋言
「ほんだんすかえ」(それ本当のことですか)
「はばかりだんす」(ちょっと遠慮します)
※ 参考文献
しかし、「ありんす言葉」は吉原全体の共通語ではなかったようです。吉原にはいくつもの遊郭がありましたが、そのなかでも大見世とよばれている規模の大きな店ではそれぞれ独自の「ありんす言葉」が使われていたようです。
しかも大見世でも「ありんす言葉」は花魁級のランクの高い遊女さんが使っていたようです。下っ端の遊女さんは使っていなかったようです。また、中見世や小見世といった規模の小さなお店の遊女さんは、大見世にはナイショで「ありんす言葉」を使っていたといいます。
ただ、江戸時代の後期になると、下っ端の遊女さんも中見世や小見世の遊女さんたちもふつうに「ありんす言葉」を使うようになったようですが。
今日はそんな大見世の中から松葉屋と扇屋の「ありんす言葉」を。
松葉屋言
「来んした」(来た)
「じれっとおす」(じれっとうござります)
「ようおす」(ようございます)
扇屋言
「ほんだんすかえ」(それ本当のことですか)
「はばかりだんす」(ちょっと遠慮します)
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