1 短距離走から始まったオリンピック
紀元前776年の第一回古代オリンピックの競技種目は短距離走の一種目だけでした。距離は、1スタディオン(約192メートルの直線)だったそうです。(複数行われたという説もあるようですが)この時の優勝者は、エーリス(*1)の若者でした。
それから時代がたつにつれて、中距離走、長距離走と増えていったそうです。中距離走では約400メートルを往復する中距離走、、長距離走は、大会によって距離が異なり、1344メートルの年もあれば、4600メートル近く走った年もあったそうです。距離が短かった年はラッキーw?
のちには重装歩兵のヨロイやカブトを身につけ、盾を持って走る武装競争も行われました。結構きつそうですね。
紀元前708年の第18回からは、五種競技が採用されました。一人の選手が五種目に挑戦する競技で、幅跳び、円盤投げ、短距離走、槍投げ、レスリングを行ったのですね。すごいですね、現代では考えられませんね。陸上競技だけでなくレスリングまでこなさなくてはならない。並大抵の身体能力がないと優勝するのは厳しいでしょう。当然、優勝者は、人々のあこがれの的となりました。
またボクシングやパンクラチオンという種目も始まりました。格闘技やパンクラチオンは特に人気が高かった競技です。え、パンクラチオンって何かって?ええ、パン食い競争のことですwうそ、うそ。パンクラチオンのことは後ほどご説明します。
他にも、少年短距離走、少年レスリングといった少年競技(出場資格は17才から20才まで)や、武装競争、伝令競争、ラッパの演奏のうまさを競うラッパ競争、競馬競争、戦車競争も始まりました。ところで、戦車競争って何かって?これも後でご説明します。
ただし、各大会でこれらの競技が全種目実施されたのではなく、多くとも一大会につき、十三種目が行われたそうです。
2 ボクシング
ボクシングは今以上にエキサイティングだったそうです。
だったといわれています。
グローブはなかったそうですが、敵へのダメージを大きくする為に握り拳に革ヒモを巻いていたそうです。ローマ皇帝の時代になると、革ひもに金属鋲を埋め込んで、試合にのぞんだ人も。
だから、優勝した者でさえ、顔がふくれ上がり、歯は何本も折れ、肉がえぐれて骨が見えたとか。
ローマ時代に、ある貴族のボクシング選手は試合後に顔が変形してしまいました。そのボクシング選手のあまりの変わりように、兄弟でさえも見分けがつかず、そのボクシング選手は遺産の相続権を失ったそうです。
また、試合で対戦相手を殺してしまい、「オレはなんてひどいことをしたんだ」とか言って気が変になった選手もいたそうです・・・
3 戦車競争
戦車競争とは、どんな種目だったのでしょう?約40台の戦車がオリンピックの競技場のコースにひしめき、スピードを競う、古代のF1グランプリのようなものでしょうか。その戦車競争の様子は、映画『ベン・ハー』にも出てきます。
戦車と言っても、今の我々が知っている戦車ではなく、4頭立ての馬車の事です。
この戦車競争は、戦車同士が衝突して血が流れるのは当たり前でした。また、馬車からふり落とされたり、戦車の車輪がこわれたりして大事故を起こしてまい、戦車に乗っている人が死んでしまうこともありました。完走した戦車は一台だけという、ものすごいレースだったそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=fFr8C34v-q8
(戦車競走の様子。『ベン・ハー』より。映らなかったらごめんなさい)
古代ギリシャの詩人・ソフォクレスは、戦車競争で起きた事故の事を次のように述べたようです。
4 パンクラチオン
パンクラチオンというのはパン食い競争のことではありません。これはボクシングとレスリングを足して2で割ったような競技です。時間は無制限で、相手を叩きのめすまで試合が続けられたのです。が、一応降参することは認められ、右手の人差し指を立てれば降参だそうです。
試合はパンチやキックが技の基本で、投げ技や締め技、関節技などが行われていました。目や鼻、口や耳などに指をつこんだり、噛みついたりすると反則になります。ところが、男の急所のアソコを攻撃するのはOKだったのです。変なルールですね。
このパンクラチオンは体重別ではありませんでした。体重差が違う者同士の戦い、例えるなら、ブルース・リーとボブ・サップが戦うようなこともあったようです。
ともかく、このパンクラチオンは危険極まりないスポーツで、パンクラチオンの競技中に死亡したケースもあったといいます。
*1 古代ギリシャの地名。現在のイリア県あたり。
※ 参考文献
紀元前776年の第一回古代オリンピックの競技種目は短距離走の一種目だけでした。距離は、1スタディオン(約192メートルの直線)だったそうです。(複数行われたという説もあるようですが)この時の優勝者は、エーリス(*1)の若者でした。
それから時代がたつにつれて、中距離走、長距離走と増えていったそうです。中距離走では約400メートルを往復する中距離走、、長距離走は、大会によって距離が異なり、1344メートルの年もあれば、4600メートル近く走った年もあったそうです。距離が短かった年はラッキーw?
のちには重装歩兵のヨロイやカブトを身につけ、盾を持って走る武装競争も行われました。結構きつそうですね。
紀元前708年の第18回からは、五種競技が採用されました。一人の選手が五種目に挑戦する競技で、幅跳び、円盤投げ、短距離走、槍投げ、レスリングを行ったのですね。すごいですね、現代では考えられませんね。陸上競技だけでなくレスリングまでこなさなくてはならない。並大抵の身体能力がないと優勝するのは厳しいでしょう。当然、優勝者は、人々のあこがれの的となりました。
またボクシングやパンクラチオンという種目も始まりました。格闘技やパンクラチオンは特に人気が高かった競技です。え、パンクラチオンって何かって?ええ、パン食い競争のことですwうそ、うそ。パンクラチオンのことは後ほどご説明します。
他にも、少年短距離走、少年レスリングといった少年競技(出場資格は17才から20才まで)や、武装競争、伝令競争、ラッパの演奏のうまさを競うラッパ競争、競馬競争、戦車競争も始まりました。ところで、戦車競争って何かって?これも後でご説明します。
ただし、各大会でこれらの競技が全種目実施されたのではなく、多くとも一大会につき、十三種目が行われたそうです。
2 ボクシング
ボクシングは今以上にエキサイティングだったそうです。
- 時間は無制限
- 休息なし
- 体重別の階級分けもなし
- 自らの手を守るためのグローブもなし
- フットワークやボディーブローなしの足を止めてのなぐり合い
だったといわれています。
グローブはなかったそうですが、敵へのダメージを大きくする為に握り拳に革ヒモを巻いていたそうです。ローマ皇帝の時代になると、革ひもに金属鋲を埋め込んで、試合にのぞんだ人も。
だから、優勝した者でさえ、顔がふくれ上がり、歯は何本も折れ、肉がえぐれて骨が見えたとか。
ローマ時代に、ある貴族のボクシング選手は試合後に顔が変形してしまいました。そのボクシング選手のあまりの変わりように、兄弟でさえも見分けがつかず、そのボクシング選手は遺産の相続権を失ったそうです。
また、試合で対戦相手を殺してしまい、「オレはなんてひどいことをしたんだ」とか言って気が変になった選手もいたそうです・・・
3 戦車競争
戦車競争とは、どんな種目だったのでしょう?約40台の戦車がオリンピックの競技場のコースにひしめき、スピードを競う、古代のF1グランプリのようなものでしょうか。その戦車競争の様子は、映画『ベン・ハー』にも出てきます。
戦車と言っても、今の我々が知っている戦車ではなく、4頭立ての馬車の事です。
この戦車競争は、戦車同士が衝突して血が流れるのは当たり前でした。また、馬車からふり落とされたり、戦車の車輪がこわれたりして大事故を起こしてまい、戦車に乗っている人が死んでしまうこともありました。完走した戦車は一台だけという、ものすごいレースだったそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=fFr8C34v-q8
(戦車競走の様子。『ベン・ハー』より。映らなかったらごめんなさい)
古代ギリシャの詩人・ソフォクレスは、戦車競争で起きた事故の事を次のように述べたようです。
「観客が見守るなかで、馬車を操る人の体がふわりと浮き、悲痛なさけび声があがって、若者の体は地面で大きく弾んだ。仲間が暴走する馬をつかまえ、血まみれの死体を馬車から引き出したときには、親友さえ彼とわからないほど変わり果てた姿だった」
4 パンクラチオン
パンクラチオンというのはパン食い競争のことではありません。これはボクシングとレスリングを足して2で割ったような競技です。時間は無制限で、相手を叩きのめすまで試合が続けられたのです。が、一応降参することは認められ、右手の人差し指を立てれば降参だそうです。
試合はパンチやキックが技の基本で、投げ技や締め技、関節技などが行われていました。目や鼻、口や耳などに指をつこんだり、噛みついたりすると反則になります。ところが、男の急所のアソコを攻撃するのはOKだったのです。変なルールですね。
このパンクラチオンは体重別ではありませんでした。体重差が違う者同士の戦い、例えるなら、ブルース・リーとボブ・サップが戦うようなこともあったようです。
ともかく、このパンクラチオンは危険極まりないスポーツで、パンクラチオンの競技中に死亡したケースもあったといいます。
*1 古代ギリシャの地名。現在のイリア県あたり。
※ 参考文献
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