1 古代オリンピックが開かれた理由
オリンピックイヤーということで古代オリンピックは、オリュンポス(ギリシャ)にて紀元前8世紀から紀元前4世紀まで、実に1200年もの間、4年に一回、一度も欠かさずに開催されました。第一回のオリンピックの開催は紀元前776年とされておりますが確証はありません。ゼウス神殿があるオリンピアを支配したエリスの王が、争いの続いた隣国と休戦協定を結んだことがきっかけで、オリンピックが開催されたと言います。
古代オリンピックはスポーツの祭典と言うよりも神の儀式のようなものでした。実際、古代オリンピックでは、ゼウスに生贄をささげる儀式がとても大事でした。
ソクラテスやプラトン、ヘロドトスをはじめ有名な哲学者たちや芸術家が数多く観戦したそうです。
2 聖なる休戦とオリンピックの終わり
当時のギリシャは争いが絶えなかったのです。それが、古代オリンピックの開催期間中は「聖なる休戦」として、休戦協定がむすばれ、あらゆる戦争が中止されたほどでした。「聖なる休戦」の時に戦争をやらかした国は、おしおき制裁されたそうです。
この休戦協定は大体守られましたが、紀元前420年にスパルタという軍事国家が、オリンピック開催期に他国を攻めたため、オリンピックに参加できなくなったのです。それだけ、重要なイベントだったのでしょう。
しかし、そんなオリンピックにも終わりがやってきます。
紀元前394年にローマ皇帝テオドシウスがキリスト教以外の宗教を禁止したといいます。そのためゼウスの神をまつるオリンピア信仰も禁じられてしまいました。
オリンピア信仰とはどのような教えかは僕もよくわかりませんが、キリスト教とはちがう信仰であることは間違いないと思います。
オリンピックも元々はオリンピア信仰の宗教的儀式みたいなものでしたから、オリンピックを続けることも困難になりました。それからオリンピックは、19世紀にクーベルタンたちが復活させるまで、開かれる事はありませんでした。
3 古代オリンピックの様子
古代オリンピックは大体5日間行われました。大会の初日は選手やコーチがゼウスの神殿に更新し、祭壇に生贄を捧げて、ゼウスをはじめとする神々に勝利を願う祈りを捧げました。12歳から18歳までの少年の競技も初日に行われました。二日目が大人つまり19歳以上の選手による競技です。三日目の午前中にいけにえとしてささげられた100頭のお牛を解体され焼かれました。(牛さんカワイソす)その立ち上る煙がゼウスを喜ばせると考えられていたのです。他にも、数々の宗教的な儀式が行われたそうです。
三日目の午後と四日目に再び競技がおこわなれ、最終日の五日目は優勝者を称える人なります。優勝者はゼウスの神殿の前で一人ずつ名前を読み上げられ、オリーブの葉で作られた冠をかぶせてもらえます。式の後は盛大な宴会が催されました。
また、古代オリンピックはスポーツ大会だけでなく、芸術鑑賞会のような事もやっていたそうです。神殿には絵や彫刻などがあふれて、人々たちはこれらの芸術作品を楽しんだそうです。
特に圧巻なのは、ゼウス神殿に祀られていた高さ12メートルのゼウス像でした。また、演劇なども行われていたそうです。いわば運動会と文化祭を同時にやったようなものでしょうか。
スタジアム周辺にはテント(今で言うお祭りの屋台)がひしめいていて、若者達は朝から晩までドンちゃんさわぎ、娼婦(※1)は5日間で一年分稼いだそうです。
ホメロスの朗読コンテストあり、弁論家や哲学者による演説会あり、マジシャンによるマジックあり、大食い競争、七夕祭りに阿波踊りwまであったというからオドロキですね。
しかし、オリンピックが終わって人々が立ち去った後、会場には膨大なゴミが残されたと言います。ましてやオリンピックは夏に行われましたから、ゴミから出る悪臭もひどいものだったとか。
※1 性的サービスを提供することによって生計をたてている女性
* 参考文献
オリンピックイヤーということで古代オリンピックは、オリュンポス(ギリシャ)にて紀元前8世紀から紀元前4世紀まで、実に1200年もの間、4年に一回、一度も欠かさずに開催されました。第一回のオリンピックの開催は紀元前776年とされておりますが確証はありません。ゼウス神殿があるオリンピアを支配したエリスの王が、争いの続いた隣国と休戦協定を結んだことがきっかけで、オリンピックが開催されたと言います。
古代オリンピックはスポーツの祭典と言うよりも神の儀式のようなものでした。実際、古代オリンピックでは、ゼウスに生贄をささげる儀式がとても大事でした。
ソクラテスやプラトン、ヘロドトスをはじめ有名な哲学者たちや芸術家が数多く観戦したそうです。
2 聖なる休戦とオリンピックの終わり
当時のギリシャは争いが絶えなかったのです。それが、古代オリンピックの開催期間中は「聖なる休戦」として、休戦協定がむすばれ、あらゆる戦争が中止されたほどでした。「聖なる休戦」の時に戦争をやらかした国は、
この休戦協定は大体守られましたが、紀元前420年にスパルタという軍事国家が、オリンピック開催期に他国を攻めたため、オリンピックに参加できなくなったのです。それだけ、重要なイベントだったのでしょう。
しかし、そんなオリンピックにも終わりがやってきます。
紀元前394年にローマ皇帝テオドシウスがキリスト教以外の宗教を禁止したといいます。そのためゼウスの神をまつるオリンピア信仰も禁じられてしまいました。
オリンピア信仰とはどのような教えかは僕もよくわかりませんが、キリスト教とはちがう信仰であることは間違いないと思います。
オリンピックも元々はオリンピア信仰の宗教的儀式みたいなものでしたから、オリンピックを続けることも困難になりました。それからオリンピックは、19世紀にクーベルタンたちが復活させるまで、開かれる事はありませんでした。
3 古代オリンピックの様子
古代オリンピックは大体5日間行われました。大会の初日は選手やコーチがゼウスの神殿に更新し、祭壇に生贄を捧げて、ゼウスをはじめとする神々に勝利を願う祈りを捧げました。12歳から18歳までの少年の競技も初日に行われました。二日目が大人つまり19歳以上の選手による競技です。三日目の午前中にいけにえとしてささげられた100頭のお牛を解体され焼かれました。(牛さんカワイソす)その立ち上る煙がゼウスを喜ばせると考えられていたのです。他にも、数々の宗教的な儀式が行われたそうです。
三日目の午後と四日目に再び競技がおこわなれ、最終日の五日目は優勝者を称える人なります。優勝者はゼウスの神殿の前で一人ずつ名前を読み上げられ、オリーブの葉で作られた冠をかぶせてもらえます。式の後は盛大な宴会が催されました。
また、古代オリンピックはスポーツ大会だけでなく、芸術鑑賞会のような事もやっていたそうです。神殿には絵や彫刻などがあふれて、人々たちはこれらの芸術作品を楽しんだそうです。
特に圧巻なのは、ゼウス神殿に祀られていた高さ12メートルのゼウス像でした。また、演劇なども行われていたそうです。いわば運動会と文化祭を同時にやったようなものでしょうか。
スタジアム周辺にはテント(今で言うお祭りの屋台)がひしめいていて、若者達は朝から晩までドンちゃんさわぎ、娼婦(※1)は5日間で一年分稼いだそうです。
ホメロスの朗読コンテストあり、弁論家や哲学者による演説会あり、マジシャンによるマジックあり、大食い競争、
しかし、オリンピックが終わって人々が立ち去った後、会場には膨大なゴミが残されたと言います。ましてやオリンピックは夏に行われましたから、ゴミから出る悪臭もひどいものだったとか。
※1 性的サービスを提供することによって生計をたてている女性
* 参考文献
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