この記事は2008年8月18日に書いた記事を加筆修正したものです。
1 大スキャンダル 絵島事件
絵島事件って大奥最大のスキャンダルだといわれております。
この事件で絵島(えじま)は、信州の高遠に流されてしまいます。映画では、絵島は死刑宣告されますが、7代将軍家継(いえつぐ)の「軽い刑にせよ」の一声で死刑は免れます。いくら小学校低学年くらいのガキwでも何せ天下の大将軍ですから。
もちろん、将軍の一声で軽い刑になったとは、あくまでも映画の中の話でしてw実際に絵島の刑が軽くなったのは月光院(げっこういん)の口添えなどがあったからでしょう。
2 絵島事件の背景は派閥争い
この事件は月光院、新井白石(あらいはくせき)、間部詮房(まなべあきふさ)派と、天英院(てんえいいん)&老中派の対立が背景にありました。白石も間部も6代将軍の家宣(いえのぶ)に抜擢された人たちだから、古参の老中達は彼らを快く思わなかったのでしょう。
しかし、7代将軍家継が8歳で亡くなって生母の月光院が悲しんでいた時、天英院は励ましたそうです。最終的には二人は和解しました。
それにしても、絵島はかわいそう・・・
無実の罪で囚われて、江戸から遠く離れた高遠に流されてしまったんだから・・・
27年間も幽閉されて、そのまま61歳で亡くなってしまうのですから・・・
さて、先月、私は家族と車で長野県高遠までドライブに行ってきました。絵島の囲み屋敷も見てきました。その時の感想を次回の記事で書かせていただきます。
また、こちらの記事もよろしかったらどうぞ
※ 関連記事
「天英院は倒幕派?」
監督:林徹
収録時間:126分
レンタル開始日:2007-06-08
Story
江戸城・大奥を舞台に女たちの熾烈な闘いを描いたフジテレビの人気時代劇を映画化。大奥総取締の絵島と歌舞伎の看板役者・生島新五郎が繰り広げる禁断の恋を綴る。主演の仲間由紀恵ほか、西島秀俊、井川遥、及川光博(詳細こちら)
1 大スキャンダル 絵島事件
絵島事件って大奥最大のスキャンダルだといわれております。
この事件で絵島(えじま)は、信州の高遠に流されてしまいます。映画では、絵島は死刑宣告されますが、7代将軍家継(いえつぐ)の「軽い刑にせよ」の一声で死刑は免れます。
もちろん、将軍の一声で軽い刑になったとは、あくまでも映画の中の話でしてw実際に絵島の刑が軽くなったのは月光院(げっこういん)の口添えなどがあったからでしょう。
2 絵島事件の背景は派閥争い
この事件は月光院、新井白石(あらいはくせき)、間部詮房(まなべあきふさ)派と、天英院(てんえいいん)&老中派の対立が背景にありました。白石も間部も6代将軍の家宣(いえのぶ)に抜擢された人たちだから、古参の老中達は彼らを快く思わなかったのでしょう。
しかし、7代将軍家継が8歳で亡くなって生母の月光院が悲しんでいた時、天英院は励ましたそうです。最終的には二人は和解しました。
それにしても、絵島はかわいそう・・・
無実の罪で囚われて、江戸から遠く離れた高遠に流されてしまったんだから・・・
27年間も幽閉されて、そのまま61歳で亡くなってしまうのですから・・・
さて、先月、私は家族と車で長野県高遠までドライブに行ってきました。絵島の囲み屋敷も見てきました。その時の感想を次回の記事で書かせていただきます。
また、こちらの記事もよろしかったらどうぞ
※ 関連記事
「天英院は倒幕派?」
コメント
コメント一覧 (2)
以前、天英院さんについて調べた事があるのですが、当時の資料には天英院さんを悪く書いた物がほとんどなく、実際はとても温厚な方で、側室達にも親切だった事がわかります。月光院との対立があったにしろ、家宣亡き後、家継の嫡母として将軍家を支え続けた天英院さんは立派だったと思います。
映画の中で、家継が「絵島の刑を軽く致せ」と言うシーンがありますが、あれは本当は間部の台詞だったようですよ(笑)
相良様、はじめまして。私のブログにご訪問してくださいまして誠に有難うございます。
天英院は映画では意地悪な感じですが、実は幕府の将来を案じ、実にいい人だということを伺ったことがあります。また、吉宗を次期将軍に推薦したのも彼女だとか。
でも、大変温厚で側室にも親切だということは存じませんでした。
ところで、以前にテレビで天英院は倒幕をたくらんでいる悪女のように取り上げていましたが、これには私は大変異議があります。天英院が頑張ったことで、幕府の寿命も延びたのではないかと思います。
>映画の中で、家継が「絵島の刑を軽く致せ」と言うシーンがありますが、あれは本当は間部の台詞だったようですよ(笑)
あれは映画ですからねえ(笑)でも、間部が絵島の刑を軽くするように命じたことは存じませんでした。
それだけ、あの当時間部は幕府の実権を握っていたということですね。
有難うございます。色々勉強になりました。私のブログでは歴史も取り上げますので、よろしかったらまた是非お越しください。そして、また相良様の御指導を賜りたいと存じます。