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これまで2回(↑)にわたって諏訪湖すわこの女工さんの話をしてきたけれど、今日で三回目です。今日でとりあえず諏訪湖の女工さんの話はいったん中断します。今日の内容は、諏訪湖の女工の問題が現代にも通じるのではないか?そんな問題提起をしたいと思います。

製糸の作業は細かい作業なので向き不向きも当然ありました。今の日本と同じく、明治・大正当時の女工の間でも勝ち組、負け組がいたみたいです。

器用で糸引きが向いていた女工さんは仕事でさほど苦労することなく、いっぱい給料ももらえた上に、表彰ひょうしょうまでされました。なかには田んぼや家を買った女工もいるというからすごいですよね。30年ローン組んで家を買った人から見ればなんともうらやましい限りの話です。

しかも優秀ゆうしゅうな女工さんはアチコチの工場で引く手あまただったそうです。

一方、気の毒なのは糸引きが向いていない人。不器用で仕事も失敗ばかり。だから検番から年中どやされました。しかも失敗をすれば罰金ばっきんとして給料からひかれてしまい、年末にはサイフもスッカラカンで故郷に帰れなかった女工さんもいたとか。

新人教育もしていたある女工さんはこうつぶやいております。


「ワシは長年糸ひきをしてみて感じることだが、まず十人のうち本当にいいのは二人か三人で、次に、本人の熱心と努力でまあまあ何とか糸をひけるというものが、三、四人、しかし残りの二、三人というものはいくら教えてもおこってもたたいても、この人たちは糸ひきに向かない人です。怒るほうがだいたいムリです。」


『あゝ野麦峠』(山本茂美) p125より



「2-6-2の法則」(※1)というものを聞いたことがありますが、この女工さんのお話もそれに近いですね。それから、いくら器用な女工さんでも体が弱い人は、ムリがたたってそのまま死んでしまったそうです・・・

当時の日本は西洋諸国に追いつけ、追いせという状況じょうきょうでした。資源の少ない日本が外国と張り合う為ためには無理も止むを得なかったのでしょう。企業きぎょう慈善事業じぜんじぎょうでもないから、もうけなくてはつぶれてしまう。まさに食うか食われるかの世界です。

それに生糸は相場の変動が激しく不安定で、もうかる時は儲かるのだが、損をするときは大損をします。だから、製糸業を廃業そうぎょうする会社も少なくなかったそうです。女工さん達も大変でしたが、企業きぎょうにとっても大変だったのでしょう。

製糸工場の社長達は社員を低賃金(あるいは無償むしょう)でこき使い自分だけゼイタクをしていた訳ではありません。

朝は女工さん達よりも早く起き、工場の動力である水車がこわれれば、自ら川に飛び込んで水車を修理したり、かまに火をたいたりしたそうです。現場監督げんばかんとくである検番たちはえばってばかりだが、社長はちがっていたみたいです。例外もいるが、人の上に立つような人物は違うのでしょう。

今日の豊かな日本があるのは女工さん達が頑張がんばってくれたおかげでもあると思う半面、その一方で女工さん達の犠牲ぎせいがあった事、それから派遣はけん切りや過労死かろうし(ブラック会社)の問題など今にも通じる様々な問題がある事を考えさせられます。

※1 人間が集団を構成すると、 『優秀な人が2割、普通の人が6割、パッとしない人が2割』という構成になりやすいという法則。



※ 参考文献

あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史 (角川文庫)
あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史 (角川文庫)
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