history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)




ルイ・ヴィトンのかばんが浮力があって、水に浮くって話を知ったのは「金田一少年の事件簿」。その話が本当かどうか、結論から言えば何とも言えません。

僕もユーチューブで、実際にルイ・ヴィトンのトランクが水に浮くかどうか実験する動画を探したのですが、全然見つかりません。ルイ・ヴィトンのトランクが高くて100万円近くするといいますし、あとでお話ししますが、現在販売されているトランクは水に浮かないそうです。


あくまで「金田一」に出てくる知識ですが、140年以上前、旅行の移動手段といえば、汽車か船がメインで、飛行機なんてなかった。それで、水難事件にそなえて、ルイ・ヴィトン社は、旅行トランクが水に浮くように設計したといいます。仮に船が転覆しても助かるように。昔は転覆事故が多かったといいますからね。ネットで調べると、タイタニック号の沈没の際、ルイ・ヴィトン製のトランクを持っていた乗客は助かったといいます。沈没から数十年後たって、沈んでいたヴィトンのトランクを引き上げたところ、引き上げ後に海に浮かんだ数々のトランクの中で、ヴィトン製のものだけが浸水がなかったため、トランクの中のものが一切濡れなかったとと。しかし、それはあくまでウワサ。下手すりゃ後世の作り話かもしれない。

ウワサとはいえ、ルイ・ヴィトンのトランクは水に浮くって話がマジかどうか別にして、ルイ・ヴィトンのトランクを欲しがる人がふえたのですね。実際、ルイ・ヴィトンのトランクは水に強く、傷がつきにくく、メンテナンスも手間がかからないという長所もあるのは事実なんですね。たいせつに扱えば大変長持ちするそうです。そして、21世紀初頭、顧客からの要望の多かった鞄の軽量化を名目に生地の製法を変更し、現在製造するトランクは浮かなくなったといわれております。だから、ルイ・ヴィトンのトランクが本当に水に浮いたかどうかは、なんともいえないのです。






1 グレムリンのモデルは日本人?
この間、Amazonのビデオで久々に「グレムリン」見ましたが、懐かしいですね。子供の頃に見た時は、怖いなって思ったけれど、大人になってみてみると、以前ほど怖いなって思わなくなった。「チャイルドプレイ」だとか「シャイニング」とか、「グレムリン」よりもっと怖いホラー映画やサスペンス映画を見慣れた後となると「グレムリン」が取り立てて怖いとは思わなくなったですね。むしろ、ちょっと怖いところもあるけれどコメディー色や風刺も込められた映画だなって。


さて、この映画に出てくるグレムリンという化け物のモデルが日本だと言われておりますが、僕は半分は当たっているかもしれないが、半分は違うと思います。

まず本題に入る前に、「グレムリン」のあらすじを。主人公ビリーの父親が、息子のビリーのためにチャイナタウンにある骨董品屋でモグアイという謎の小動物を買おうとします。この小動物は、けむくじゃらで耳が異様にデカく、猫のような猿のようなそんな生き物です。しかし、骨董屋の主人は売り物ではないといって拒否します。しかし、骨董屋は金に困っており、主人の孫がこっそり、ビリーの父にモグアイを売ってしまいます。主人には内緒で。

父からモグアイを渡されて、ビリーは大喜び。ビリーはそのモグアイに「ギズモ」って名前をつけます。意味は、新製品。生き物に製品って名前をつけるのも変な感じですが。そのモグアイを飼うのは大変難しく、三つの決まりを守らなくてはなりません。



  1. 水をかけてはダメ。数が増えるから。

  2. 光を当ててはダメ。苦手だから。特に日光を当てると死んでしまう。

  3. 深夜に食べ物を与えてはダメ。かわいらしいモグワイは、グロテスクなグレムリンになって狂暴化するから。これが一番守んなきゃいけない決まり




結局、ビリーたちは決まりを破り、モグアイの数も増やしてしまい、挙句に狂暴化させてしまい、人間に危害を与えるようになるのです。それはヒッチコックの「鳥」のように、人間を襲う生物がどんどん増えてくる怖さ。

2 双子の赤字に悩まされたアメリカと映画「グレムリン」
 で、映画にフッターマンというおじさんが出てきて、たびたび外国製の電化製品やら車を批判し、車は国産つまりアメリカ製に限ると言っているのですね。フッターマンは、かつては第二世界大戦の英雄だったが、現在は失業中という設定。この映画が上映されたのは1984年。当時のアメリカは双子の赤字に悩んでいたのです。双子の赤字とは、



  • 貿易赤字

  • 財政赤字


ベトナム戦争で莫大なお金を使った挙句に、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻。米ソ間の軍事的緊張が高まっている状況。軍備にかけるお金がばんばん膨らみ財政的に苦しくなる一方。だから、当時のアメリカは今の日本のような雰囲気で、国民も自信を失っていたのですね。そんな状況だから、ギズモもアメリカの国旗を好み、おまわりさんから「アメリカびいきなんだな」って言われる場面が出てくるのです。国民が自信を失っているいまこそ愛国心を持とうって動きが当時のアメリカにあったのでしょうね。かたや、日本は莫大な貿易黒字だったのです、それは二つの理由からです。

  • 安くて省エネで品質の良い電化製品や車を作ることができた

  • 専守防衛で防衛費よりも経済発展にお金をかけることができた



日本は70年代の石油危機を省エネ技術や太陽光発電などの技術革新で乗り越えたのです。この結果、燃費に優れた日本製の車や、信頼性の高い日本製の電気製品が世界を圧巻したのですね。また、日本は防衛費に金をかけることもなかったし、ベトナム戦争の時、アメリカは日本に派兵要請をしたものの、憲法9条を盾にそれを拒むことができた。それで、1981年の日本のGN Pは世界の10%を占めるほど。しかし、こうした経済の発展はアメリカの強い反発を生むのですね。日米の貿易摩擦です。日本の輸出攻勢はアメリカの産業に大打撃を与えるのです。

アメリカの自動車業界では30万人もの労働者が解雇され、日本車の非売運動まで発展します。「グレムリン」のフッターマンもそうした状況で工場を解雇され、外国産とくに日本産の電化製品には嫌悪感を抱いていたのですね。


3 プラザ合意
そして、アメリカは双子の赤字状況を脱却すべく、1985年にプラザ合意を行いました。これは日本や西ドイツ、イギリスいった国々の首脳をアメリカのプラザホテルに集め、アメリカのドルの価格の是正を求めたものですが、槍玉に上がったのが日本との間の貿易赤字。

結局、日本の車や家電商品が安いから売れるわけで、ドルの価格が下がり、いわゆる円高ドル安状況になれば、日本の車や家電商品が高くなる、それで日本製のものが売れなくなるのです。円高ドル安って言われてもわかりにくいですが、これはアメリカ人の立場から見て、円の価格が高く、ドルの価格が安くなったという状況。円、つまり日本のお金の値打ちが高くなれば、日本製そのものの値段も上がってしまうってことですね。

そうなると、困るのは日本。車や電気製品がアメリカで売れなくなったのです。円高になると、輸出に頼っている日本は困ってしまうのです。それで好景気に沸いた日本も円高不況になってしまい、日本の工場が海外に出て行ってしまったりといろいろ大変なことになって、それからバブル経済に突入するのですが、それ以降の話はまた別の機会に。

グレムリンが上映された1984年はプラザ合意の一年前ですね。グレムリンの映画に出てくる、グレムリンの正体は日本じゃないかとも言われておりますが、確かに当時のアメリカ人にとって、当時の日本人は小憎たらしい悪魔のような存在かもしれない。しかも80年代といえば、先の戦争から40年しか経っておらず、日米両国、お互いに戦争の記憶も残っている状況。両国の指導者たちも戦争を知っている世代。

4 グレムリンは自然の摂理を守れというメッセージ
でも、グレムリンは知日派のスピルバーグも関わっているし、この映画のダンテ監督も日米の対立とか、そうした話を盛り込みつつも、自然への畏怖を忘れ、お金儲けに走る人間への警告をしたかったのかもしれない。映画でも、骨董屋の主人が、「人間は愚かで自然の摂理を踏みにじってまで、幸せを得ようとする」と非難しています。実際、アメリカでも環境問題に関心を持つ人が増えたのですね。温暖化、それからフロンガスによるオゾン層破壊が問題になったのもちょうどこの頃。

また、1990年に「グレムリン2」が上映されます。2の方がコメディ色が強く、マネーゲームに走り過ぎて、人間としての情だとか、自然への畏敬を忘れてしまったことへの批判が1よりも込められておりました。

グレムリン2には遺伝子をいじくって新しい生物を作り出す研究所が出てくるのですね。ちなみに「グレムリン」は小説にもなっているのですが、そこではモグワイは科学が発展した星で科学者が人工的に作り出した生物だという設定なんですね。それで科学者がモグワイを地球に送り込んだって話。ここでも自然の摂理を忘れた人間への批判が込められております。

そして、守銭奴の象徴が、2に出てくるクランプという富豪。クランプはニューヨークの王者と呼ばれる人物で、不動産を中心にアメリカの経済を動かすほどの人物ですが、一方で偏屈で人間性に欠けている面もあった。クランプは土地の買い取りを先の骨董屋に持ち掛けますが、骨董屋はクランプをアホ呼ばわりして、それを拒みます。もっともグレムリン騒動で彼もラストでよい人間になるのですが。

そのクランプのモデルが、トランプ元大統領。トランプは日本では、大統領になるまで、それほど知られた人物ではなかったのですが、アメリカではこの頃からすでに有名人で、評判もあまり良くなかった。「バックトゥザフューチャー」に出てくる悪役のビフもトランプがモデルだと言いますし。横暴でモラルに欠ける人間とみなされた人物がのちにアメリカの大統領になるとは。いろいろ考えさせられます。











松本人志が性的暴力行為が暴露されましたねえ。今まで松本を天才と持ち上げた人たちも手のひらを返すように非難している様子、僕は滑稽で仕方がないですね。僕は正直、松本人志というかダウンタウンが人気絶頂の頃から好きじゃなかった。学生時代、「ごっつええ感じ」が人気だったけれど、正直見る気がしなかった。強いものが弱いものをいじめる芸風がどうも好きになれなかった。というか、弱い者いじめ芸って松本人志の専売特許じゃないですよね?とんねるずとかビートたけしもそんな感じだった。他にも、弱いものイジメ芸をやっている芸人いるようです。

子どもの頃、「風雲たけし城」や「お笑いウルトラクイズ」をゲラゲラ笑ってみていました。あの時は分別もなかったし。今改めてYouTubeなどでそれらを見ると、たけしの弟子に対する扱いが弱いものイジメに近くてね。嫌な気分です。マスコミが松本人志ひとりを叩いて、その根本にある問題から目をそむけようという姿勢に納得できません。

それと松本人志がいじめを広めたなんて言い方をするジャーナリストもいるようですが僕は逆だと思う。学校や会社でイジメが横行する社会だからこそ、松本というか、80年代、90年代のいじめ芸が受け入れられたのだと。

ダウンタウンがまだ新人でライト兄弟という名前のコンビだった頃、横山やすしが司会のお笑い番組に出演した、そこで、当時問題になっていた家庭内暴力を肯定するかのような漫才をやって、横山やすしに叱られていたっけ。良い漫才と悪い漫才があって、君たちがやっている漫才は悪い漫才だと。当時、子供たちの暴力に悩み、親たちが震えていた家庭が少なくなかったのですね。そんな状況で、家庭内暴力を肯定するのは良くないと。もっとも、横山やすしも弟子に対して凄まじい暴力ふるっていたというから、暴力反対と言うなら人のこと言えないよねって思うのですが。

それはともかく、家庭内暴力が静まったかと思えば、1980年代半ば頃から、学校のいじめが社会問題になってきたのですね。葬式ごっこなんてのもありました。そして、近年ではパワハラや職場のいじめがだんだん問題になってきていると。

僕の学生時代の恩師が良く言っていました。

「いじめられる人間にも原因はあるかもしれないが、だからと言っていじめは良くない、人をいじめる人間はもっと悪い。人をいじめて良い理由なんて全くない」

もし、僕の恩師のような考え方の大人ばかりだったら、ダウンタウンとか他の芸人たちもすぐに人気を失い、あっという間に色物芸人扱いになっていたと思います。彼らの芸風が受け入れられた土壌と言うのが、失われた30年の日本にあったのかなあって。



NHK朝ドラで「ブギウギ」やっていますね。笠置シヅ子のモデルのヒロインが活躍するドラマですね。僕もちょくちょく見ていますよ。このドラマに茨田りつ子という女性が出てきます。モデルは淡谷のり子。淡谷のり子といえば戦前から活躍した大歌手です。

でも、僕は正直、「ものまね王座決定戦」の審査員のイメージが強いというか強すぎるw毎回、厳しいコメントを発するが、真面目にやると優しい。お笑い路線をとっていたタレントには厳しく、特に清水アキラには厳しかった。そうかといえば、同じお笑い路線の田代まさしや稲川淳二、コロッケには優しく、もちろん叱ることもあるが、たいていゲラゲラ笑っていた。清水アキラのそれと、どこに違いがあるのか良くわからんがw、淡谷はまず下ネタはNGであることは間違い無いと思う。

でも、清水アキラが真面目にやっていた時は素直に褒めていた。テープ芸を初めて披露したときは10点をつけて「いつもそうなさい」だって。しかし、テープ芸って真面目なの?よくわからんwともあれ淡谷先生は清水アキラが嫌いなのではなく、真面目にやったら上手いのに、やらないから怒るのだと思う。清水アキラも淡谷のことは尊敬しており、花束を贈ったり、淡谷が亡くなったときはいの一番で駆けつけたとか。

あっと若い子は知らないだろうけれど、ヒップアップというお笑いトリオがいて淡谷のモノマネ毎回やってました。淡谷のまねで曲は田原俊彦の「あッ」とか荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」だとか色々バリエーションはあるけれど、代表曲なのは小泉今日子の「なんてたってアイドル」。サビの「♪なんてたってアイドル」を繰り返すだけwそれがなんとも面白いし、また御本人の前でよくできるなって、その勇気が素晴らしいというか笑える。当然、淡谷は、オカンムリ。


子供の頃は、怖いおばあちゃんだなって思っていたけれど、大人になって改めて、淡谷の動画をユーチューブで見ると、愛が伝わってくる。淡谷がふざけると怒るその理由は、やはり、彼女の壮絶な人生とリンクしてるのですね。淡谷のり子も若い頃は、食物にも困って裸婦のモデルになったくらい。そんな状況でも努力を惜しまず、歌のレッスンも怠らなかった。

戦時中は官憲から睨まれていたのです。時節柄、彼女の歌はふさわしくないと。特に「別れのブルース」は敵国アメリカに毒された曲だと見なされていたのですね。度々、淡谷のり子は取り調べを受けたのです。で、時節柄、勇ましいうたや、愛国心を駆り立てる歌を歌えと。それでも淡谷のり子はあくまで歌は人を楽しませるものだと突っぱねたのです。

歌だけでなく衣装にもこだわりがあって彼女は戦時中も派手な服装をしていたのです。それまた軍部からにらまれ、モンペをはけと言われても、彼女は「ドレスはわたしの戦闘服」といって譲らなかったそうです。


また、淡谷のり子は特攻隊の慰問で歌を歌ったのです。これから死に行く若い青年たち、少年たちの前で淡谷のり子は歌を歌い上げたのです。本来、歌は人を楽しませるもの。それが戦争で死に行く若者のために歌う。後に「徹子の部屋」にご出演された淡谷のり子はこう語られた。


「特攻隊で平均年齢16歳ですって。命令来れば飛びますって、飛んだら帰ってきませんって言うのよ。そうしたら歌ってる間に命令が来ました。スッと立ち上がってニコニコ笑って敬礼していく。泣けて泣けて、次、歌えなくなった。悲しくて。16歳よ?それで飛んでいきましたね。だから私は怒るんです」

歌っている最中に出撃命令が出て、若者たちは、すっと立ち上がり、笑顔で「行ってきます」といって、その場を去ったといいます。淡谷のり子はその時の若者たちの顔が忘れられないと。

そんな彼女の生き様が「ブギウギ」でも出てきます。僕も「ブギウギ」みてて、思いましたもん、淡谷は歌を歌えることのありがたさ、歌手が歌を歌うことの重さを知り尽くしているからこそ、「真面目に歌え」って厳しく言うんだなって。



淡谷が審査員降りたのは1994年ごろ。ものまね番組がきらいになったから?いえ、むしろ逆です。淡谷は審査員を降りてからも、一視聴者として、ものまね番組を亡くなる前まで楽しみにしていたですね。出なくなったのは、1993年に、恩師の服部良一と、戦前からの戦友ともいうべき藤山一郎が亡くなったことが大きいと思う。二人の死は淡谷にとってショックだったのでは。それから体調を崩され、1994年以降、ものまねどころかテレビにも出なくなったっけ。


ちなみに、淡谷のり子は後輩の芸能人から淡谷先生と呼ばれ親しまれていましたが、本人は先生と呼ばれるのを快く思っておらず、「私は先生じゃないわよ」って言っていました。

淡谷のり子は演歌が嫌いで有名で、ものまねでも、演歌を歌われるとすごく不機嫌になるのですね。どんなに真面目にやってもダメ。ある意味、清水アキラのおふざけよりも厳しい表情になる。「アッコにおまかせ」に出演した際、演歌批判をしまくっていて、都はるみの「北の宿」の歌詞にある「♪着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」の節を、「着てもらえないのをわかっているのなら、編まなきゃいいじゃない」って一刀両断。


淡谷は演歌歌手その人が嫌いというより、その歌詞やメロディラインが嫌いだというのです。曰く、貧乏くさくて、暗い気持ちになるからだと。でも、僕から言われせれば「別れのブルース」だって暗い気持ちになるし、今のJPOPと比較したら演歌と大差ないじゃんって思うw

それはともかく演歌のメロディがどこか軍歌と被るからかなって僕は思います。演歌を聴いてると苦しかった戦争の時代を思い出してしまうのかもしれない。

あと淡谷のり子が大好きな曲は五輪真弓の「恋人よ」。名曲ですね。淡谷は、自らもこの曲をカヴァーし、五輪真弓とはまた違った良さがある歌いっぷりでした。五輪が繊細なもの悲しさのある「恋人よ」、淡谷が歌う「恋人よ」は、クラシック仕込みで貫禄たっぷりの歌唱。




※ この記事では、敬称は省略しました。僕もかつては自分のブログでご存命の著名人に「さん」づけしていたけれど、著名人と近い関係じゃないし、「さん」をつけるとかえって失礼になるって話も聞いたので。

能登半島で大きな地震がありました。なくなった方々のご冥福をお祈りすると共に、復興をお祈りします。今日は安政南海地震(あんせいなんかいじしん)のお話。江戸時代後期に起きた南海地震のこと。僕は関西ってあまり地震のイメージはなかったけれど、歴史を振り返ってみると結構多いんですよ。特に和歌山県や四国あたり。

発生日は1854年12月24日。

発生時刻は16時。震央は日本の旗 日本 南海道沖。

地震の規模 ML8.4 - MW8.5

震度6: -7:


この地震では津波の被害がすごかったそうです。四国や和歌山だけでなく、大坂(大阪)も津波の被害を受けたとか。また、この地震の翌年に江戸(現在の東京)および関東地方で大震災が起きていたそうです。日本の地震の歴史を振り返ってみると、だいたい南海大地震と関東地方の大震災は連動して起こっているそうです。



 「稲むらの火」というお話があるこれは戦中の教科書に載り、最近の国語の教科書にも掲載されている有名なエピソードなんだって。

このエピソードの主人公が濱口梧陵という商人で、舞台が紀州広村(和歌山県広川町)。お話の内容は安政南海地震のときに濱口梧陵が人助けをした事。広村は海に面した村だったから、(地震で発生した)津波が押し寄せてくる。グズグズしていたら津波に飲み込まれてしまう。そこで濱口が、稲むら(ススキや稲束を積み重ねたもの)に火をつけて、真っ暗だった辺りを稲むらの火で明るくして、地震に怯える村民達を津波の届かない安全なところへ誘導したって話。

江戸時代は懐中電灯も外灯もありません。それに今みたいに津波警報もなかった。だから、濱口がいなかったら、広村の村民達は津波に飲まれていたかもしれない・・・

この地震のあと、濱口梧陵は、今度大きな地震がきてもいいように、私財を投げ打って津波を防ぐ堤防をつくったそうです。濱口は村人達に「我々の手で堤防を建設し、津波を恐れる必要の無い村にしましょう。働いてくれた全ての人たちに給金を支払います」と言ったそうです。それで、村人達は老いも若きも堤防造りに協力したそうな。


(稲むらの火の動画)


大阪のJR環状線の大正駅の近く、木津川にかかる大正橋に石碑がたっております。その石碑には安政南海地震の際の犠牲者を弔うために建てられたもの。その石碑には地震が来たときの教訓も書かれているそうな。

そこには「大地震が起こったときは、いつも津波がくると思って、絶対に船に乗ってはいけない」とか「家が崩れて、火災も発生するだろう。お金や証文類は蔵に保管し、戸締りを厳重にし、火の用心が肝心」なども書かれているそうです。

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