前回は悲劇の人マリー・アントワネットのお話をしましたが、今日は彼女の母親であるマリア・テレジアがコーヒーが好きだったというお話をします。
マリア・テレジア(1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、オーストリアの女帝と呼ばれた人物です。
(マリア・テレジアの肖像画 いかにもやり手ババアって感じw)
1750年ごろから、ウィーン貴族の間では、ミルク、生クリーム、香辛料さらにアルコールが入ったコーヒーが飲まれるようになったそうです。マリア・テレジアもこのコーヒーを愛していたそうです。
さらにリキュール入りのコーヒーがウィーンではやるようになりますが、それはマリア・テレジアのおかげです。
1747年、それまでお互いに対立していたウィーンのカフェ店主とアルコール店主の組合を、マリア・テレジアは和解させました。それ以来、カフェでも、アルコールの取り扱いが許されるようになり、リキュール入りのコーヒーが流行りだしたのです。
その代表といえるコーヒーが「カフェ・マリア・テレジア」。温めておいたコーヒーカップに、モカ・コーヒーを注ぎ、ここに温かいオレンジ・リキュールやブランデー、砂糖をいれ、さらに生クリームを加えたものです。
今日でもこのコーヒーは、ウィーンの多くのカフェのメニューで見られるそうです。
男顔負けの政治をおこなったマリア・テレジアも晩年は公務から解放され、のんびりとティータイムを楽しんだそうです。マリア・テレジアはシェーンブルン宮廷庭園内の中に離れ屋敷をつくり、そこに時々こもってはコーヒーや紅茶を飲んだり、お菓子を食べていたり、読書を楽しんでいたそうです。また、ここで、心配の種である愛娘マリー・アントワネットにも手紙を書いたりしたそうです。
(カフェ・マリアテレジアの作り方)
※ 参考文献
ハプスブルク家のお菓子―プリンセスたちが愛した極上のレシピ (新人物文庫)
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マリア・テレジア(1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、オーストリアの女帝と呼ばれた人物です。
(マリア・テレジアの肖像画 いかにもやり手ババアって感じw)
1750年ごろから、ウィーン貴族の間では、ミルク、生クリーム、香辛料さらにアルコールが入ったコーヒーが飲まれるようになったそうです。マリア・テレジアもこのコーヒーを愛していたそうです。
さらにリキュール入りのコーヒーがウィーンではやるようになりますが、それはマリア・テレジアのおかげです。
1747年、それまでお互いに対立していたウィーンのカフェ店主とアルコール店主の組合を、マリア・テレジアは和解させました。それ以来、カフェでも、アルコールの取り扱いが許されるようになり、リキュール入りのコーヒーが流行りだしたのです。
その代表といえるコーヒーが「カフェ・マリア・テレジア」。温めておいたコーヒーカップに、モカ・コーヒーを注ぎ、ここに温かいオレンジ・リキュールやブランデー、砂糖をいれ、さらに生クリームを加えたものです。
今日でもこのコーヒーは、ウィーンの多くのカフェのメニューで見られるそうです。
男顔負けの政治をおこなったマリア・テレジアも晩年は公務から解放され、のんびりとティータイムを楽しんだそうです。マリア・テレジアはシェーンブルン宮廷庭園内の中に離れ屋敷をつくり、そこに時々こもってはコーヒーや紅茶を飲んだり、お菓子を食べていたり、読書を楽しんでいたそうです。また、ここで、心配の種である愛娘マリー・アントワネットにも手紙を書いたりしたそうです。
(カフェ・マリアテレジアの作り方)
※ 参考文献
ハプスブルク家のお菓子―プリンセスたちが愛した極上のレシピ (新人物文庫)
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